じぷた通信社

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裁判の難しさ 人が人を裁くことの痛みについて~ドラマ大岡越前「オープニングテーマ(初代)」から考えたこと~ 

 こんにちは、じぷたです。

 

 車の中では「i pod」に入った曲を聞いています。
 FMリミッターで電波を飛ばしてラジオ受信するので、正直なところ音質は良くないです。

 

 先日、なんとなくi podに収めてある『大岡越前 暗闘編』を聴きました。
 TBSの月曜8時、ナショナル劇場で放映されていたドラマ「大岡越前」のサウンドトラックです。

 

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 ※しばらく前に、NHKに局を移して主演東山紀之でリメイクされましたね。

 

 1曲目から「オープニング初代」のタイトル。
 「ぢゃぁらん、どぅゅ~~ん」という、キャッチ―かつベリーショートな前奏?の後、口笛のテーマが始まります。
 ギロがとんでもなく良い味をだしています。
 裏で鳴ってるピアノの効果がめっちゃ高いです。
 サビから女性のファルセットへの旋律交代もなぜか自然に聴こえてしまいます。

 

 久々に聴くと引き込まれてしまいます。
 作曲は山下毅雄さん、通称ヤマタケ。
 ルパン三世パート1(一般的に青ルパンと呼ばれるやつです)の初期のテーマも山下先生の作品です。

 

 ドラマのサウンドトラックCDなので、当然ドラマ「大岡越前」で使用されたものばかりですが、全編ヤマタケサウンド炸裂してます。


 現代ジャズなのですが、これドラマのバックに流す曲ですよ。しかもゴールデンタイム、しかも時代劇。
 それにしては、暗くてトンガリすぎなのではないかと思うほど「炸裂」してます。

 

 さて、改めて『大岡越前オープニングテーマ「初代」』についてです。
 この演奏を聴いて思うのは、孤独、迷いや葛藤、抑圧というものが強く表現されているという点です。

 

 人が人を裁く。
 そこには、必ず迷いや葛藤が生じると言われます。

 自分の心の中でもわからないことがあったり、ドラマ性のかけらもない人生を送っているつもりでも、知らない間に人を傷つけることをしていたり。
 人間は不完全極まりない存在なのです。

 何が事実なのか。
 事実の裏にある真実はなにか。
 真実をどのように法にあてはめるのか。
 

 そして、何のため、誰のために裁くのか。

 

 やっぱり、人が人を裁くには、迷い・葛藤・孤独といったものを避けて通ることはできないと思ってしまいます。
 現実とドラマ、現代と江戸時代、裁判官と町奉行、の違いはあろうとも。

 

 その苦しみを音楽で表現しているのが、とてつもなく素晴らしいです。
 山下先生、すごいです!

 

 そんなわけで、皆さんもヤマタケサウンドを丁寧に聴いてみてはいかがでしょう。「オープニング初代」に身を任せれば、大岡越前の苦悩、寂しさというものがスンナリと理解できるはずです。

 

 

 

 ところで、フィクションの世界の、そのまたテーマ音楽からですら裁判というものの難しさが伝わってくるというのに、最近は安易な審判が多く下されているように思いませんか。
 私はかなり感じています。

 

 どの裁判とまでは言いませんが、国際社会において日本や日本人に対してなら少々乱暴な判決でもオッケーとなっているところを見たり、痴漢冤罪の話を聞いたりすると、苦悩なく判決を下しているなぁ、と感じます。

 

 今一度、「人が人を裁く」ということの本質を考えてみたいものです。
 新聞に載らないような小さな裁判であっても、きっとその裏には(共感できるかどうかは別として)、各々の生活や人生があるはずです。


 裁判官には、下した審判により、裁判にかけられている人の人生や、その人に関係する人の人生を根底から崩す可能性がある、ということを意識していて欲しい。
 そして、審判を下すという行為には、わずかながらでも、心に痛みが伴っていて欲しいと思うのです。 


 当然、法律に則って被害者を守らなければなりません。その上で加害者に適切な量刑を与えなければなりません。
 適切な量刑とはどの程度を指すのか。
 

 重すぎてもいけない、軽すぎてもいけない、加害者に許すべき事情があるとすれば、どの程度酌むべきか、むしろ重刑を与えることで加害者が(社会的に、または加害者本人の心情的に)許される場合があるのか、考えだすと切りがないことでしょう。

 

 だからどんな小さな裁判にも、裁判官には心の痛みが生じるのではないでしょうか。いや、生じていて欲しいと願います。
 痛みを感じてない裁判官には御白砂の砂でも煎じて飲んでもらえたらと思います。

 

 大岡越前はフィクションではありますが、人が人を裁くということの本質をドラマで表現したかったのではないでしょうか。
 

大岡越前のテーマ曲を聴いて考えたことでした。